「自立」について

こんにちは。HRBrainの安藤です。

この記事はHRBrainアドベントカレンダー23日目の記事です。

2020年も終わりを迎えようとしていますが、今年はとても大変な1年だったと感じています。多くの人にとって「生活」だけでなく「働く」を取り巻く環境も大きく変わり、それに伴って「人」との関係性も変わった人も多くいると思います。こんなある種の狂気的な環境の中でも、「わたしたち」の生活を支えるのは、その日を乗り越えようと精一杯頑張っている、多くの「わたしたち」によって成り立っていると毎日の小さな場面で感じます。

頑張って毎日を乗り越え、働くもの同士として、今年もおつかれさまでした。2020年、残り数少ない日も乗り越えていきましょう。

そんな大変な1年が終わりを迎えようとしてますが、この1年で僕個人は「人として立つ(自立する)」ことについて、とても考えさせられました。 f:id:hrb-ando-kaoru:20201222234403p:plain

わたしたちは多かれ少なかれ、関わる「人/物/環境/出来事」などに影響されながら生活しています。心理的安全性や組織に関するサーベイなどは、「わたしたち」と「人/物/環境/出来事」の相互関係性のバランスを測るためにあるものなのだろうなぁとHRTechを作っている人間としては思います。

ただ、そうした相互関係性とバランスが成り立つ以前に、「わたし」が「人として立っている(自立している)か」という前提が存在しており、それに関する理解を深めることで得られる恩恵もあるのではないかなと思い、HRっぽい内容でもあるので、この記事では「人として立つ(自立する)」ことについて感じたことをお伝えできたらと思います。

十分な根拠のある内容ではなく、僕個人が感じてきたことについての文章になる上、非常に抽象的かつ脆いテーマを取り扱うので、持ち帰り用のピザくらいな気持ちで読んでもらえたらと思います。美味しければそのまま食べて、消化してもらって良いですし、そうでなければそのまま冷凍庫に入れてもらっても構いません。

*本文中の「自立」の意味は、「自律」とかぶる部分もあるかもしれませんが、本記事内では区別はしません。

本記事内での「自立」について

出身高校でも、生徒が目指すべきあるべき姿の指針として「自立」という言葉が使われた記憶があります。 当時なんとなくの思いで「自主自立ねぇー、ふんふん」と思っていましたが、どんな状態になったら、わたしたちは「自立している」と言えるのでしょう。

今回の記事で伝えたい「自立」は辞書的な意味と若干のニュアンスのズレがあるので、以下を記事の中での「自立」とします。

それぞれの存在が、人/物/環境/出来事といった外的要因に依らず、
互いが独立して存在していることを認知している状態のこと。

概念を掴みやすくするための例をいくつか上げてみます。

-「勝つことで私が存在している」
-「私は私として存在していて、勝つことは別でまた存在している」

-「このプロジェクトをやる私がいる」
-「私は私として存在していて、プロジェクトは別でまた存在している」

-「この職種をやる私がいる」
-「私は私として存在していて、職種は別でまた存在している」

FYI:松本大洋のピンポンが「自立でない」と「自立」の対比を表現するためのとても良い例になるのですが、
弊社VPoEに下書きを読んでもらった際に「ピンポンの事例がわからん」と言われてしまったので、ここでは引用は控えさせてもらいます。
興味のある方はピンポンをそのような文脈で読んでみてください。

まだ抽象的で「自立」の姿を掴みづらいと思いますが、「外的要因に依る / 依らない」の違いはどことなく掴めたのではないかなと思います。「外的要因」がどのように形成され、どんな影響があると感じているか、話を続けます。

私たちを形成するナラティブと外的要因について

わたしたちは生きていく中で様々な「出来事・経験」を通じて、無意識的に「意味づけ」をし、文脈(ナラティブ)を身につけてきます。身につけてきたナラティブの中には、わたしたちの存在を強く定義するようなナラティブも存在すると思います。そうした強いナラティブは「個性」として表出するのでしょう。「個性」は人を耀かせるものでもあるとは思うのですが、それが時に「これがないと私は私ではない / こうでなければ私ではいられない」というように「自立を阻害する要因」すなわち「外的要因」になってしまうこともあると感じます。

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外的要因が何を引き起こすかと言うと、さらに別の外的要因によって彼/彼女のそれが揺らぐ場合に、ある種の不安や危機感を抱き、本来発揮できるはずの力をフルに発揮できない可能性があると感じます。

また、外的要因に影響された状態でのコミュニケーションは往々にして、「外的要因のフィルター」を通ってコミュニケーションが行われるので、ある種の判断(軽度の認知の歪み)が前提になることが多くなります。それが組織レベルで広がっていってしまうと、小さかったはずの認知の歪みが大きなプロブレムになってしまうこともあるかと思います。

外的要因がどのように形成され、どんな影響があると感じているかについてお話しさせてもらいましたが、その強固な外的要因をしなやかなものに置き換え、彼/彼女の自立を促進するために何ができるか?、話を続けます。

1on1と勇気付けと承認のプロセス

強固な外的要因をしなやかなものに置き換えるように、人の思考や行動の変容は「言うは易し行うは難し」の最たる例だと思います。「地動説を信じていた時代の人」に「天動説が事実であることを説き、信じてもらえるようにする」ようなものです。中世であれば、「異端の教え」だと言われ、裁判により拷問にかけられる可能性もあったりするかもしれません。

くだらない話は良いとして、人の認知を広げるのは本当に難しいですが、そこに他者が介することで流れが良くなることは大いにあるなと思います。こうした認知を矯正したり、広げたりすることも1on1の立派な役割です。具体的な1on1のやり方等はまた別の機会に書けたらと思うのですが、ただ話す/聞くという関係性ではなく、相手の考えや気持ちについていき、その思考と感情を十分に感じ、表現した上で、相手の解釈や考えを広げるような対話を互いに行えると、時間をかけたプロセスではありますが、少しずつ思考や行動変容が起きていくのではないでしょうか。

1on1の場ではなくても、他者が一個人として自立するために、わたしたち1人1人が彼/彼女を立ち上げる力を持っています。 以下のプロセスは、ある活動のプロセスにおいて、勇気付けや承認を通じて、相手をどのように支援できるかの一例となります。

  1. 支え、勇気付ける
  2. 行為や活動を見届け、必要に応じて支援をする
  3. 判断を留保し、行為や活動の結果を受け入れ、振り返り、相手に伝わる形で承認を伝える
  4. 再び行為や活動に向けて勇気付ける(支えをせずに

相手のことを「勇気付けたり」「他者を応援する」というような行為は、本来的には相互関係性や自立を促すはずで、そうした緩やかで前向きな文化が、弊社も含めて、多くの会社さんで形成されると良いなと思っています。

まとめ

ピンポンのレファレンスがわかりづらいと言われたのですが、まとめなので、軽く言及することにします。

ピンポンの主人公は「ヒーロー」なのですが、彼は彼自身で「立ち上がった」わけではなく、周りの立役者の人たちに支えられて「ヒーロー」になりました。 わたしたちも、お互いを「ヒーローの立役者」として自立し、支えあいながら、より良く働ける未来を作っていきたいですね。

自分はデザイナーですが、HRの会社で働くいちメンバーとして、人事の「人」の側面にフォーカスしたお話しをお伝えさせていただきました。